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 あなたの母親へ送る言葉、もしかすると父親へかもしれないが。 その言葉とは、Me First and the Gimme Gimmesである! 今回はくつろぐというよりもむしろ大好きな息の合った親友のように、彼らはこの作品をGherri Curl*1Kangol*2 の帽子で覆っている。 そう、この少年たちは、普段のレパートリーでファンクフィールド形式といったどんなにイライラした人でも落ち着かせることのできる心休まる魂のこもったサウンドを届けるのだが、今回は息抜きをしている。 しかし、これは単に見え透いたギミックではない。 忘れちゃいけない、ここで我々はギミギミズについて話しているのだ。 事実、これは彼らがこれまでに与えてきた卓越した音楽の影響力を最も忠実に表現したものである。 この典型的な5人組は、間違いなく尊敬の念を込めて、お気に入りの黒人アーティストによるお気に入りの歌に「props(小道具)」を与えているが、話はそこで終わらない。 オールドスクールだけでなく、少し最近のジャンルからも選び抜き、即興演奏に新たな「flava(スタイル)」を加えることにより、最終的には少年たちが都会暮らしで得た知識の本当のルーツを垣間見ることができる。 このバンドのメンバーはいずれも昔からO.G.(オリジナルのギミギミズ)をとても尊敬しているが、その武勇伝についてはまだあまり馴染みがない。 少し語らせてもらうことにしよう。

 80年代、サイドプロジェクトでその名が全く知られていなかったパンクロックバンドの初期の頃、ファット・マイクはいずれは儲けにつながってくれそうな、尽きることのない音楽への興味を追っかけていた。 パンク野郎Dee Dee Ramone*3 のように、ファット・マイクはラップミュージックでの成功の可能性を追い求めていた。 The Fat Boys*4 はマイクが本当はFat(太った)でもなければPhat(素晴らしい)でもないと気付くまで、マイクをバンドに参加させることに興味を持っていた。 そして、マイクが一週間のうちで二回しかシャワーを浴びないという事実は、彼が少しも「フレッシュ」でないことの裏づけとなった。 バンドの立ち上げに参加するチャンスを逃し、彼はソロ活動することにした。 彼は白人のユダヤ人ラッパーになることが驚くほど簡単だと気付いた。 唯一明らかに妨げとなったのは、自分のことをいかに「不快」であるかを言ってくる人のあまりの多さに心気症となってしまったことだった。 彼はSouth Central L.A.でのたくさんのフリースタイルバトルで、特に毎回審査員に投票を強要することで有名になった。 残念なことに、群集が最終的に興味を持ったことは投票箱を作り変えることだった。 ある人は、これがマイクがラッパーをやめた主な理由だと言うが、何人かの事情を知るものは未だに、彼がラップゲームをやめたのは、単に彼が十分なオクターブ和音を持ち合わせていなかったからだと主張している。

 ジョーイ・ケイプも多大なる努力をした。 しかしながら、彼が立ち向かっているその身長は、特に「Beat Street」*5 のオーディションでは何の役にも立たなかった。 映画スター、Boogaloo Shrimp*6 も脅えをなすほどのshrimp(ちび)なジョーイ。 幸いジョーイが道からはずれる前に、その小さな身長がNew Edition*7 のオーディションに引き受けられた。 このバンドはティーンズ前の子供たちで構成されたが、全員ジョーイと同じくらいの身長だったので、ジョーイがはるかに年上だという事実をカモフラージュすることができた。 ジョーイは上手に振舞っていたが、バンドはラインナップに彼を加えることに関して決めかねていた。 そもそも彼らがジョーイを加えることになれば、新しいイメージの新しい名前が必要となるであろう。 ある日ジョーイはバンドに加わり、その経営者たちとのバスケットボールの試合に参加した。 より打ち解けあおうと、ジョーイはMichael Bivins*8 が初得点をあげた後、夢中になってそのスコアを叫んだ。 「Boys 2, Men 0」*9 と。 このことはNew Editionのメンバー内でかなりの印象を植え付けた。 そして、ある決定に達したのであった。 スコアを知ったと思ったがバンドメンバーは彼を首にした。 ジョーイの咄嗟の声が後に数百万のヒットとなったにも関わらず。 Bobby Brown*10 は外で個人的に彼をエスコートし、「dead president」*11Greyhound*12 のチケット、粉末状の白い物質(ジョーイはこれが「Houstonから」のものだと立ち聞きしたので、テキサスから取り寄せたものだと考えている)を残した。

 ヒューストンはスパイクが早い段階で真剣に白人のR&Bアーティストだと思われるように繰り返し訪れた、数多くある頼りとなる町の一つだった。 彼は昔ながらの音楽を非常に好み、その英雄たちを見習おうとするいくつかのカバーバンドに加わった。 Motown*13 に対する自分の愛情を表現するために、スパイクはMarvin Gaye*14 のトリビュートツアーに乗り出した。 読書障害を持つ広報係の一連の不手際により、このツアーは「Marvelous Gay(驚異の同性愛者)」ツアーと間違って宣伝された。 観衆はブリーチブロンドのスパイクに凄まじく熱狂的な反応を示したが、そのコンスタントに続く楽曲のリクエストで彼はイライラした。 それから彼はBarry White*15 をトリビュートするようになった。 それはいいアイデアだったが、スパイクのバリトン音域の物足りなさや多くの観衆からの嘲笑から、彼は「Very White」というあだ名を付けられた。 彼の最大のブレークは「Play That Funky Music」と題されたラスベガスでの氷上トップレスレビューの主役という形で訪れた。 Vanilla Ice*16 , Marky Mark*17 , Snow*18 といった時代の最先端をゆく限られた者が出演するこのショーはSt. Ides*19 がスポンサーを務め、Wild Cherry*20 のメドレーの中の1曲が取り上げられた。 誰の目で見ようとも明らかに大ヒットし、第1幕さえ終わらないうちに逃げ出す観衆がたくさん見られるほどだった。 その後すぐ、スパイクの興味は「Soul Train」*21 よりもむしろNight Train*22 に移った。 酔いつぶれ一瓶のさざ波の中を這ったが、驚くべき運命の逆転であろうか、彼はそこでギミギミズに出会ったのだ。

 不幸な運命を一度たりとも逆転させることがなかったギミギミメンバーの一人、それがドラマーのデイヴである。 デイヴの身の上話はもうすぐリリースされる「ギミギミズの影に立つ」と題されたドキュメンタリーのテーマとなっている。 彼の有名な“目立たなさ”には彼自身の感動的な始まりがある。 彼と彼の双子の兄弟SamはN.Y.はマンハッタン、ハーレムのこれといって特徴のない地域で生まれた。 この少年たちは伝説的なデュオグループSam & Dave*23 にちなんで名付けられた。 両親はSamが伝説にも残るSam Cooke*24 にちなみ名付けられたのは知っていたが、いつも疑問に思っていることがあった。 「じゃあDaveって誰なんだろう?」 この疑問は彼を今日まで悩ませ続けることとなる。 いくつか簡潔なものを考えたがしっくりこず、やはり適当につけたのだろうか? The Mysterians*25The Who*26 のカバーバンドにならって、デイヴはそれほど苦労をせずその後に続き、結局Lionel Richie*27 のパフォーマンスをまねる仕事にありついた。 しかしながら、例によって彼のステージでの存在感はあまりにも特徴がなく、Apollo Theater*28 で野次を飛ばされたことのない唯一のパフォーマーとして歴史本に残されることとなった。 デイヴのあっと驚く半アクロバティックな「Dancing On The Ceiling」を披露した時でさえ、観衆を大喝采させ興奮させるには物足りなかった。 気落ちしつつも、彼はそのダンスの才能をストリートで発揮した。 ストリート・パフォーマーの一人がデイヴに「ポップ」と「ロック」は好きかと尋ねると、ポップとロックの大ファンであるデイヴは純真に「もちろん」と答えた。 デイヴが次に気付いたのは、パフォーマーが段ボールを広げ、自分が強制的に即興のダンスコンペに参加させられるということだった。 彼は競技が終わる前にこっそり立ち去ろうとしたが、手足が折れているにも関わらず押し倒され、ダンスが終わるまで居座らせられた。 ブレイクダンスの起源に知らず知らずのうちに関わっていたデイヴだが、未だその功績を認められたことはない。

 大評判のダンスに関連した話だが、ギタリストのジェイク・ジャクソンが本当はJackson 5*29 を生み出したジャクソン家の「white sheep」*30 であるという事実はほとんど知られていない。 彼らは遠い親戚だったが、Michael Jackson*31 はジェイクのことをいつも賛美、嫉妬、競争心が絡み合った気持ちで見ていた。 ジェイクが何か行動を起こすときに世間の注目を浴びすぎないように、Michaelはジェイクに付き添い、あらゆる手を尽くして彼を守りながらも、出来る限りたくさんのアイデアを吸収していた。 ある夜Michaelは、ジェイクがある熱狂的なファンと関係を持とうとし、そのファンが「No glove, no love(コンドームをつけなければセックスしない)」と言っているのをふと耳にした。 明らかに文脈を誤解し、Michaelは愛されようと、どこへ行く時にもトレードマークである手袋をはめるようになった。 また別の機会では、いつものように少し酔っ払いすぎたジェイクはズボンを引き下げ、mooning(みんなの前でお尻を丸出しに)しながら酔っ払いのジグを踊った。 ジェイクがみんなから注目を集めたのに嫉妬して、Michaelは後に「Moonwalk」と呼ばれる自身の素晴らしいダンスを世に広めた。 もちろんズボンを下げることなく。 ジェイクはついにMichaelと向き合い、なぜそんなにも不満(stupid chip)を募らせながらこれほどの時間を過ごしてきたのかを尋ねた。 Michaelはこの発言を「stupid chimp(まぬけなチンパンジー)」と聞き間違え、ジェイクがどうやら霊長類の友人Bubblesのことを好きではないらしいと知り驚愕させられた。 ジェイクに対するMichaelの賞賛の気持ちはとても偉大なものであったため、彼はすぐさま「チンパンジーの生息地」を調査し、Bubblesをそこに追い払った。 Bubblesはどうやら今も、シャンプー製品を定期的に目に入れられテストする以外はそこの施設で人並みの生活を送っているらしい。 今日までMichaelはただひたすらに好意を得ようと、可能な限りジェイクを模倣してきた。 多くの人は言う。 Michaelの変わり続ける容姿は、いつもチャーミングなジェイク・ジャクソンみたいに美しくなりたいという潜在的な願望を反映しているのだと。 尋常性白斑*32 かジェイク・ジャクソンか? もうみんな答えはおわかりであろう。

 こんな具合で話は終わろう。まさにオールドスクールからの最高のトリップだ。 あなたが悪党のようにぞくぞくしているか、重罪犯人のように硬くなっているかはさておき、このディスクをプレーヤーでガンガンに鳴らしてベビーベッドに寄り掛かり、ギミギミズと共に休憩を取っていただきたい。

 Peace,
 C-Dawg a.k.a. Christopher "Snoop Dodgy" Dodge

補足

*1 髪型の一種?

*2 カンゴール。1937年、英国で帽子の専門メーカーとして創業。公式サイト

*3 ディー・ディー・ラモーン(1952-2002)。伝説のパンクバンド、ラモーンズのオリジナル・ベーシスト。88年にDee Dee King名義でラップアルバムをリリースしている。公式サイト(ラモーンズ)。

*4 ファット・ボーイズ(1982-1991)。アメリカのヒップホップトリオ。名前のとおり、3人の体重合計は1,000ポンドを超える。

*5 N.Y.ブルックリンを舞台としたヒップホップカルチャーがリアルに描かれた映画。1984年作品。

*6 ブガルー・シュリンプ(1967-)。1984年映画「ブレイクダンス」でターボ役を演じたダンサー・俳優。ほうきを使ったパフォーマンスシーンは見もの。

*7 ニュー・エディション(1980-)。アメリカのR&Bグループ5人組。結成当時は14〜16歳の少年だった。公式サイト

*8 マイケル・ビヴンズ(1968-)。ニュー・エディションの一人。Boyz II Menを発掘した人物として有名。

*9 ニュー・エディションのヒット曲「Boys To Men」にかけている。

*10 ボビー・ブラウン(1969-)。ニュー・エディションの一人。86年にグループから脱退し、ソロ活動を開始。92年にR&B歌手ホイットニー・ヒューストンと結婚するも、妻へのDVなどが問題となった。

*11 ヒップホップ用語でお金のこと。

*12 グレイハウンド。アメリカ最大規模のバス会社。公式サイト

*13 モータウン。デトロイトに設立されたソウル音楽やブラックミュージックを中心としたレコードレーベル。公式サイト

*14 マーヴィン・ゲイ(1939-1984)。モータウンを代表するソウル・R&B歌手。口論の末、父親に射殺されるという悲劇的な最期を遂げた。

*15 バリー・ホワイト(1944-2003)。アメリカのソウルシンガー・プロデューサー。代表作に「愛のテーマ」など。

*16 ヴァニラ・アイス(1968-)。アメリカの白人ラッパー。90年に「Ice Ice Baby」が大ヒットを記録した。公式サイト

*17 本名マーク・ウォルバーグ(1971-)。91年に兄とのラップバンド「マーキー・マーク&ザ・ファンキー・バンチ」でデビュー。

*18 スノー(1968-)。カナダ出身のレゲーミュージシャン。

*19 セイント・アイデス。アメリカの大手ビール会社。

*20 ワイルド・チェリー(1972-1980)。アメリカの白人ソウル・ファンクバンド。「Play That Funky Music」の大ヒットで有名。

*21 アメリカの音楽テレビ番組。主にR&B・ソウル・ヒップホップアーティストによるパフォーマンスを取り上げている。公式サイト

*22 値段は安いがアルコール度数の高いワインの銘柄。

*23 サム&デイヴ(1961-1981)。サム・ムーアとデイヴ・プレイターからなるソウル界のトップ・デュオ。代表曲に「Hold On, I'm Coming」など。

*24 サム・クック(1931-1964)。ソウルミュージックの創始者であり、開拓者。公式サイト

*25 ? & The Mysterians(クエスチョン・マークとミステリアンズ)。アメリカのロックバンド。代表曲に「96粒の涙」がある。

*26 ザ・フー(1964-)。イギリスのロックバンド。「モッズの神様」「世界最強のライブバンド」などと評される。公式サイト

*27 ライオネル・リッチー(1949-)。詳細はコチラ

*28 ハーレムにあるアメリカで最も有名なクラブの一つ。公式サイト

*29 ジャクソン5(1966-1990)。詳細はコチラ

*30 通常「black sheep」で“厄介者”の意味。

*31 マイケル・ジャクソン(1958-)。詳細はコチラ

*32 後天的に全身の皮膚の色素の一部が脱色する病気。マイケルが患っていることで有名。